働かざるもの食うべからず?
「働かざる者、食うべからず」と聞いたことがある人も多いでしょう。どこか厳しく冷たい響きを感じるこの言葉、実は禅の世界にもよく似た教えがあります。
それが、「一日不作一日不食(いちにちさくせずんば いちにちくらわず)」という禅語です。
意味は「一日でも作(労働)をしなければ、その日は食べない」という意味です。ここで言う「作」とは単なる労働ではなく、生きることそのもの。百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という禅僧が遺したこの言葉には、現代の私たちが忘れがちな、深い意味が込められています。
百丈禅師の生き方に学ぶ
この言葉の由来は、百丈禅師のある日のエピソードです。
彼は80歳を過ぎても、自ら掃除や畑仕事など労働を果たしてきました。弟子たちは百丈禅師の健康を心配して、ある日こっそり農具を隠してしまいます。すると百丈禅師はその日、一切食事を口にしなかったのです。
理由を尋ねると、百丈禅師は静かにこう答えました。
「一日不作 一日不食」今の自分にできることをしなかった、だから私は何も食べない
百丈禅師にとって、「働くこと」と「食べること」は一体だったのです。ただ座禅をするだけが修行ではなく、草を刈り、畑を耕し、日常を自らの手で支えることが、禅の実践だったのです。
現代社会と「作務」の考え方の違い
現代社会では、私たちの多くが「食べる」と「作る(労働)」を切り離して生活しています。コンビニで買ったおにぎり、Uber Eatsの食事、清掃スタッフが掃除したきれいなオフィス。どれも他人の手によるものです。
もちろん、それが悪いわけではありません。しかしその結果、私たちは「生きている実感」や「感謝の気持ち」などを忘れてしまってはないでしょうか。
労働が義務や負担また報酬のために感じられるようになった今だからこそ、百丈禅師の教えが問いかけてくるのです。
本当に「生きている」と言える一日を、あなたは送っていますか?
小さな「作」を今日から始めてみよう
禅語「一日不作一日不食」は、厳しさの中に温かさがあります。
それは、働かない者を責めるための言葉ではなく、「自分の手で生きることの尊さ」を思い出させてくれる教えです。
よく勉強して、たくさん遊び、部屋をきれいに掃除する。ケガや病気になっても少しでも早く治るようにしっかり休みましょう。
そうした何気ない日常の行為で、「今を生きている」と実感できるはずです。
その積み重ねが、きっと豊かな人生につながっていきす。
おわりに
禅の言葉は、時に厳しく、しかしその奥にはとても人間的な温かさがあります。
「一日不作一日不食」という教えも、めんどうくさいと思う心に負けず、今できることをしっかりやれば、その日のご飯がとてもおいしく感じられます。
今日の「作」は何をしよう?
今日の「ご飯」は何にしましょう?
その一歩一歩で、あなたの一日が変わるかもしれません。
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